2016年11月1日火曜日

Vol.1 p.6-7

2。村上水軍について その1 馬神城跡をめぐって     [p.6-7]
 中島忠由「因島地方一万年史」(昭和47年9月)、p.166によると、馬神城の城主は末永矢治馬介景光である。
 永禄12年(1569)、因島村上氏第6代村上新蔵人吉充が向島・余崎城から重井に移り、青木城を築城した。
 本城:青木城(城主:吉充、城代:稲井氏)
 白滝山:控えの要害で、備後灘方面の監視所。観音堂(堂主:常楽院静金)。
 馬神山:第三家老・末永矢治馬介景光。現在、山頂に「馬神大明神」「妙見大菩   
     薩」「大山神社」の小祠。馬神新開に「馬神山荒神社」の小祠。
 天秀庵:船奉行・片山数馬。馬神と橋で結ぶ。
 細島茶臼山:弓瀬氏(吉勝 市正 宗十郎)。
 上坂:柏原土讃守平忠安。
 八幡神社(伊浜)、山ノ神社(山ノ神)、毘沙門堂(山ノ神)造営。
 八幡神社(伊浜)に隋身像奉納。
 白滝山麓を武者街、大小路・南小路を市場街とし、通婚を禁じた。大疫神社(砂     原)を市場の守り神とした。
 毘沙門堂(山ノ神)の跡に、江戸時代になって善興寺が建つ。毘沙門天像は中庄・成願寺にある。
 1588年の海賊禁止令によって、吉充は隠居し鞆城に移った。
末永矢治馬介景光について。      
「能島来島因島由来記」(因島市史料第六集)。p.41の「因島家 村上氏五八家衆 五家持 家老兼帯在勤」には、救井、稲井、末永、宮地、南氏の順に出ており「以上 五家衆也」とあって、第三家老が末永氏ということになる。
松岡進「瀬戸内水軍史」p.574によると末永矢治馬介景光は慶長五年庚子(1600)九月十九日、三津浜の戦いで戦死。位牌が越智郡亀岡村佐方(現・今治市菊間町佐方)の長本寺にある。法名、鳳院景山玄光居士。
  馬神山の南の麓(小林)には、白滝山観音堂堂主の常楽院静金大徳の墓と三百回忌の供養塔がある。
「大教院隆光優婆塞 大越家前常楽院金龍法印 梵室妙唄優波吏」
「(前)常楽院 ◯◯ 静金淨清大徳三百大遠忌 (左)大正九年三月廿九日

 (右)十代目峯松幾三郎◯建之」


[p.1-2 ]  [p.3-5]  [p.6-7] [p.8]  [p.9]  [p.10]

第1回20160517 
レジメ [p.1-2 ]
   レジメの部分は以下の各ページの冒頭に再録しております。
1。白滝山について 1              [p.3-5]
2。村上水軍について 1 馬神城跡をめぐって     [p.6-7]
3。真珠の養殖                     [p.8]
4。道元禅師へのアプローチ 1「正法眼蔵随聞記」 [p.9]
5。弘法大師空海へのアプローチ 1「鯖大師」       [p.10]

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