2016年3月21日月曜日

因島大浜町 陸軍境界石

おおはまみち
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おおはまみち

因島大浜町 新設道路寄付碑

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2016.2.1.総覧4 寄付塚。「新設道路 寄附者 一金千円 久保田権四郎」。



2016.2.1.「大正十四年竣工」。


2016.2.1.「大濱村建之」。


2016.2.1.


2016.2.1.










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おおはまみち 

2016年3月20日日曜日

因島大浜町 ゆるぎ岩

おおはまみち
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2016.3.17.総覧1 動岩(ゆるぎ岩)。


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おおはまみち

因島田熊町 田熊中学校

たくまみち
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たくまみち

2016年3月6日日曜日

沼隈町パラグアイ移住団の渡航船について - 沼隈町パラグアイ移住史研究(2) -  

 
. はじめに
広島県沼隈郡沼隈町のパラグアイへの集団移住は,昭和31年から33年にかけて,12回に分けて行われた1)。 筆者は既にその渡航日(神戸港出航日)について明らかにした2)。本稿では同様の方法で,渡航船の船名を公刊資料に基づき明らかにした。本稿では,船名の確定に留め,排水量,船籍,航海の状況等については別稿で考察することにする。
 
2.方法
船名については,主として沼隈町広報に基づき,他の資料と照合した。なお,ここで記す渡航日とは,神戸港出航日のことである。
 
3.第一陣の渡航船について
第一陣については,『広島県移住史 通史編』に「6家族37人が昭和31年10月7日,金明会館での壮行式ののち,あき丸で神戸移住斡旋所に向かい,約一週間の訓練を経て,10月15日オランダ船チチャレンガ号で出発した」3)とある。 この記述は,『広島県移住史 資料編』のサンデー毎日の報道とも一致する4)。 これは「沼隈町広報」(昭和31年10月1日)にも記されている5)。以上のことから,第一陣(1956年10月15日渡航)の渡航船はオランダのチチャレンガ号ということがわかる。
 
4.第二陣の渡航船について
第二陣の渡航日については,「沼隈町広報」(昭和31年11月15日)の記事に「南米移住第二陣出発 11月2日出帆の大阪商船アメリカ丸」6)とあることから,第二陣の渡航船が,アメリカ丸であることが確認できる。なお、後述の第五陣の表記に合わせて「あめりか丸」とする。
 
5.第三陣の渡航船について
第三陣の渡航日については沼隈町広報には記されていない。(渡航日については「1956年12月5日渡航」2)と推定した。)『パラグアイ日本人移住五十年史 栄光への礎』(以下『栄光への礎』と略記)の他地域の動態表の中に渡航日を記したものがあるので参照すると,チェベス地区の第15次入植者のところに「1956年12月5日ぶらじる丸 1957年1月30日エ市着」7)とあるので,第三陣の渡航船の船名は「ぶらじる丸」であることがわかる。
 
6.第四陣の渡航船について
第四陣の渡航船については沼隈町広報昭和32年1月5日に,「南米移住第四陣1月15日,テケルベルブ号(1万4千トン)で,南アフリカ経由で」8)とあるので,第四陣の渡航船はテゲルベルグ号(1万4千トン)(南アフリカ経由)だと確定できる。なおこの名称は『栄光への礎』の他地域の動態表に記載されている表記9)に合わせた。
 
7.第五陣の渡航船について
第五陣の渡航日については沼隈町広報昭和32年3月15日に,「南米移住第五陣出発 4月2日出航あめりか丸にて」10)とあるので第五陣の渡航船を,あめりか丸と特定できる。
                  
8.第六陣の渡航船について
第六陣の渡航日については沼隈町広報昭和32年7月15日に,「フラム第六陣出発 7月15日神戸港出帆のルイス号に乗船」11)とあるので,第六陣の渡航船を,ルイス号と確定できる。
 
9.第七陣の渡航船について
第七陣以降の渡航船についての記事を沼隈町広報に見つけることはできなかった。これは参考にした縮刷版が完全を期していないためであり,沼隈町広報に報じられなかったというわけではない。
そこで『栄光への礎』の他地域の動態表を捜したところ,アマンバイ地区に「第6次入植者 10家族 1957年10月2日あふりか丸 1957年11月23日入耕」12)とあるので,第七陣の渡航船は「アフリカ丸」だと確認できる。
 
10.第八陣の渡航船について
第八陣の出航日は,1957年12月30日である。『宮崎県南米移住史』13)によると1957年12月30日にぶらじる丸が出航していることがわかる。このことから,第八陣の渡航船は「ぶらじる丸」だと確認できる。
 
11.第九陣の渡航船について
第九陣の渡航は1958年4月17日である。『栄光への礎』の他地域の動態表を捜したところ,アマンバイ地区に「1958年4月17日ルイス号」14)とあるので,第九陣の渡航船は「ルイス号」であることが確認できる。
 
12.第十陣の渡航船について
第十陣の渡航日を1958年5月17日である。『栄光への礎』のチャベス移住地の動態表に「1958年5月17日テゲルベルグ」15)とあるので、第十陣の渡航船は「テゲルベルグ号」であることが確認できる。
 
13.第十一陣の渡航船について
第十一陣の渡航日は1958年7月4日である。『宮崎県南米移住史』に「1958年(昭和33年)7月4日発『あふりか丸』」16)とあるので、第十一陣の渡航船は「あふりか丸」であることが確認できる。
 
14.第十二陣の渡航船について
第十二陣の渡航日は1958年12月28日 である。その渡航船名は、現在のところ不明である。
 
15.結論
以上の結果をまとめると次の表のようになる。
 
 渡航日(神戸出航)渡航船名
第一陣1956年10月15日チチャレンガ号
第二陣1956年11月2日あめりか丸
第三陣1956年12月5日ぶらじる丸
第四陣1957年1月15日テゲルベルグ号
第五陣1957年4月2日あめりか丸
第六陣1957年7月15日ルイス号
第七陣1957年10月2日あふりか丸
第八陣1957年12月30日ぶらじる丸
第九陣1958年4月17日ルイス号
第十陣1958年5月17日テゲルベルグ号
第十一陣1958年7月4日あふりか丸
第十二陣1958年12月30日不明
 
16.おわりに
沼隈移住団の渡航船名について調べ,渡航日とともに記した。第十二陣の渡航船名については、今後の調査に待ちたい。
 
参考文献
1) 広島県、『広島県移住史 通史編』、p.597
    沼隈町教育委員会編集発行、『沼隈町誌 写真・資料編』、(平成16年12月)、p.92
2) 拙稿、「沼隈町パラグアイ移住団の渡航日について- 沼隈町パラグアイ移住史研究(1)-」
3)広島県、『広島県移住史 通史編』、p.597
4)広島県、『広島県移住史 資料編』、p.865
5)「沼隈町広報」 S31.10.1. 縮刷版、 p.53
6)「沼隈町広報」 S31.11.15. 縮刷版、 p.60
7)『パラグアイ日本人移住五十年史 栄光への礎』、p.329
8)「沼隈町広報」 S32.1.5 .縮刷版、 p.62
9)前掲書7)、『栄光への礎』、p.379
10)「沼隈町広報」 S32.3.15. 縮刷版、 p.66
11)「沼隈町広報」 S32.7.15. 縮刷版、 p.71
12)前掲書7)、『栄光への礎』、p.340
13)『宮崎県南米移住史』、p.530
14)前掲書7)、『栄光への礎』、p.344
15)前掲書7)、『栄光への礎』、p.329


16)『宮崎県南米移住史』、p.530

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沼隈町パラグアイ移住団の渡航日について - 沼隈町パラグアイ移住史研究(1) -


. はじめに
「町ぐるみの海外移住」として全国的にも有名な,広島県沼隈郡沼隈町のパラグアイへの集団移住は,昭和31年から32年にかけて,8回に分けて行われた」1) 。集団移住の実態を解明するための前段階として,8回の移住団の出発日を明らかにする必要がある。本稿では,神戸港を出港した月日を明らかにした。なお,さらに,広島県からラパス地区へ4度にわたり移住しているので,それについても渡航日を記しておく。
 
2.方法
8回の移住団は,沼隈町広報等において,第一陣,第二陣・・・と呼ばれているので,本稿においても,そのように呼ぶことにする。また,『パラグアイ日本人移住五十年史 栄光への礎』(以下『栄光への礎』と略記)における移住者動態表において,フラム移住地入植者名簿は「1955415日渡航」より,「1964年渡航」まで渡航月日順に記載されているので2,この動態表中の渡航月日を第何陣のものかを推定した。資料は,沼隈町広報を基にし,他の刊行物で補った。なお,これらの資料をつき合わせることによって,動態表中に記されている渡航月日というのは,神戸港の出航月日であることがわかったので,以下神戸港の出航月日をもって,渡航日とする。
 
3.第一陣の渡航日について
第一陣については,『広島県移住史 通史編』に「6家族37人が昭和31107日,金明会館での壮行式ののち,あき丸で神戸移住斡旋所に向かい,約一週間の訓練を経て,1015日オランダ船チチャレンガ号で出発した」とある3 。この記述は,『広島県移住史 資料編』のサンデー毎日の報道とも一致する4 これは「沼隈町広報」(昭和31101日)にも記されている5。以上のことから『栄光への礎』の移住者動態表の「19561015日渡航」が,沼隈町移住団第一陣の神戸港出航日に対応することがわかる。そして,中国新聞社のルポルタージュ『移民』に第一陣として紹介されているM氏の名も,移住者動態表の該当のところに見られる6
 
4.第二陣の渡航日について
第二陣の渡航日については,「沼隈町広報」(昭和311115日)の記事に「南米移住第二陣出発  112日出帆の」とあることから7,移住者動態表の「1958112日渡航」を神戸港就航日とする。なお,『移民』で紹介されている,第二陣でラ・パス地区に入植した人物F氏の名前からも確認できる8
 
5.第三陣の渡航日について
第三陣の渡航日については沼隈町広報には記されていないので,前後の渡航日から推定せざるを得ない。また,『移住』でY氏が第三陣と紹介されているので9,動態表中の該当個所である,「1956125日渡航」を第三陣の神戸出航日と推定した。
 
6.第四陣の渡航日について
第四陣の渡航日については沼隈町広報昭和3215日に,「南米移住第四陣115日出航,O氏ら」とあるので10,動態表中のO氏を含む「1957115日渡航」を第四陣の神戸出航日とする。
 
7.第五陣の渡航日について
第五陣の渡航日については沼隈町広報昭和32315日に,「U氏ら南米移住第五陣出発 42日出航」とあるので11,動態表でU氏を含む,「195742日渡航」を第五陣の神戸出航日とする。また,『移住』に第五陣の一員として入植したと紹介されているW氏の名前も該当個所にみることができる12
 
8.第六陣の渡航日について
第六陣の渡航日については沼隈町広報昭和32715日に,「フラム第六陣出発 715日神戸港出帆のルイス号に乗船 第一陣のM氏,K氏の家族も乗船」とあるので13,動態表の「1957715日渡航」を第六陣の渡航日とする。なお動態表には,M氏,K氏の家族と思われる人たちの名前も見える。
 
9.第七陣の渡航日について
第七陣の渡航日についての記事を沼隈町広報に見つけることはできなかった。これは参考にした縮刷版が完全を期していないためであり,沼隈町広報に報じられなかったというわけではない。『移民』に紹介された「沼隈移住第七陣でラパスに入植したN」という記述14をたよりに,動態表でN氏の記述を捜したところ,「1957102日渡航」の中に見つけることができた。また,『移民』にはUが「第七陣で着いた」と紹介されており15,同様に,動態表でも確認できた。以上のことから「1957102日渡航」を第七陣の神戸出航日とする。
 
10.第八陣の渡航日について
第八陣の渡航日についての記事は,第七陣と同様,沼隈町広報に見つけることはできなかった。また,『移民』にも第八陣という言葉が載っていない。
広島県『広島県移住史 通史編』の,「1957(昭和32)年12月まで8回にわたって集団移住がおこなわれた」1という記述に従うなら,動態表の「19571228日渡航」を第八陣の神戸出航日としなければならない。第七陣以降,年末までに広島県出身者が出航したのは,この便が最後であるからである。
ただし,その後の調査により,19571228日の渡航船を確認できないでいた。このことから,この第8陣の渡航日についても,更に検討してみることが必要である。そこで,この前後の渡航船も含めて検討してみた。
既述のように「1228日」の記述があるのは,『栄光への礎』の「移住者動態表(フラム移住地)」(p.363)である。
しかし,同書p.331の移住者動態表(チャベス移住地)にはフラム移住地からの転住として,「19571230日 ぶらじる丸」として群馬県出身のU氏の家族名が記されている。U家は,先の「移住者動態表(フラム移住地)」の19571228日の中にあることから,どちらかが誤植だと考えられる。これは,『宮崎県南米移住史』のp.530に「19571230日 ぶらじる丸」と記載されているので,1230日が正しいことがわかる。
 
11.「ラ・パス年誌」での確認
以上の推定について,後に入手した『フラム移住30年の歩み みどりの大地』16の「ラ・パス年誌」に記載されている家族数および人員数から,これらの渡航日が矛盾しないことが明らかになった。
12.第九陣から第十二陣まで
ここまで,第八陣で終わりと思っていたが,その後公刊された『沼隈町誌 写真・資料編』(沼隈町教育委員会編集発行,平成1612月)のp.92に以下のように記されている。
移民の第一陣は,昭和31年(19561015日,神戸港からパラグァイに向かって出発した。その後,第十二陣(同331228日出発)までに130家族・415人。そのうち沼隈町出身者は,わずか24家族・83人で,約八割は町外から一時的に籍を移した人々で,当初の目的であった人口問題の解決には,ほど遠いものであった。
 ということで,第十二陣まで調べる必用が生じた。
「フラム移住30年の歩み みどりの大地」の「ラ・パス年誌」 によれば次のことが記されている16。順に第九陣~第十二陣としておく。
19586月 広島県より7家族40名到着入植するも適地無くア市イグアス方面へ転出。・・・・・第九陣
19587月 広島県より2家族19名入植。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第十陣
19588月 広島県より1家族7名入植。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第十一陣
19592月 広島県より1家族3名入植。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第十二陣
これらに対応する渡航日(神戸港出航日)を,『栄光への礎』の「移住者動態表(フラム移住地)」から推定し、広島県関係者の家族数と人数から以下のように推定できる17
第九陣・・・・・・1958417日渡航 広島県6家族34
第十陣・・・・・・1958517日渡航 広島県2家族19
第十一陣・・・・195874日渡航 広島県1家族8
第十二陣・・・・19581230日渡航 広島県1家族3
両資料の若干の不一致は当時の開拓地という事情を考えると仕方がない。本稿は渡航日を調べるのが目的であるのでその正誤については、これ以上検討しない。
第十二陣については1230日か28日か,更に検討したいが、とりあえずより新しい資料の1228日としておく。 
 
13.結論
以上の結果をまとめると次の表のようになる。
 

 
渡航日(神戸出航)
第一陣
19561015
第二陣
1956112
第三陣
1956125
第四陣
1957115
第五陣
195742
第六陣
1957715
第七陣
1957102
第八陣
19571228
第九陣
1958417
第十陣
1958517
第十一陣
195874
第十二陣
19581228
なお,既に述べたように渡航日は神戸港からの出航日であり,沼隈町からの出発日ではない。沼隈町を出発して,神戸の移住斡旋所で訓練を受け出航するのが普通のパターンである。
 
14.おわりに
第十二陣については1230日か28日か,検討の余地を残したままである。  
 
参考文献
1)広島県、『広島県移住史 通史編』、p.597
2)『パラグアイ日本人移住五十年史 栄光への礎』、p.353-370
3)前掲書1)、『広島県移住史 通史編』、p.597
4)広島県、『広島県移住史 資料編』、p.865
5)「沼隈町広報」 S31.10.1 縮刷版 p.53
6)中国新聞「移民」取材班、『移民』、中国新聞社、p.258
7)「沼隈町広報」 S31.11.15 縮刷版、p.60
8)前掲書6)、『移民』、p.270
9)前掲書6)、『移民』、p.267
10)「沼隈町広報」 S32.1.5 縮刷版、p.62
11)「沼隈町広報」 S32.3.15 縮刷版、p66
12)前掲書6)、『移民』、p.264
13)「沼隈町広報」 S32.7.15 縮刷版、p71
14)前掲書6)、『移民』、p.271
15)前掲書6)、『移民』、p.262
16)『フラム移住30年の歩み みどりの大地』、p.119
17)前掲書2)、『栄光への礎』、p.365-368