2015年10月23日金曜日

重井村四国八十八カ所研究序説


                   重井村四国八十八カ所研究
                            双書:いんのしまみち  
                  著者:柏原林造
                  発行:潮騒舎
                  発行者:

(お断り:以前書いていた「末広講の夢」というタイトルは因島重井町文化財協会発行の冊子に使いましたので、改めました。)


はじめに

重井村四国88カ所の調査報告は、川口・焼酎屋の柏原清氏の資料をもとに、久保・角恵屋の村上安弘氏がまとめられた重井の石造物別冊「重井村四国88カ所」がある。これを参考に、再調査した。 


お遍路さんと言えば四国八十八カ所札所巡礼を思い出し、観音さんと言えば西国三十三観音巡礼を思い出すとともに、地元にあるそのミニチュア版を連想される人も多い。


特に、因島では、大浜灯台の1番から重井八幡神社上の88番までほぼ島内一周を巡る札所が整備され、「島四国」「新四国」として、島内はもとより周辺近島にも有名であった。巡礼の人波はかつては早春の島の風物詩であったことは周知のことである。その札所のお堂もよく整備され、地元の人たちの協力で維持されている。
この島四国に対して四国4県の弘法大師ゆかりの寺を巡る、四国八十八ケ所霊場のことを「本四国」と呼んで区別している。


重井村四国


島四国とは別に、小さな祠や地蔵さんが島内各所の路地にはある。これらの多くにも四国霊場のように番号と寺名などが彫られてある。これらはたいていが、その村内で完結するように構成されており、村四国と呼ばれてきた。重井の他、中庄、外浦、田熊に多い。
重井の村四国について重井町史年表には、以下のように書かれているから、幕末期に建設されたことがわかる。


1816文化13年 近隣島々に四国八十八所御本尊を勧請。白滝山頂に祭祀。
1847弘化4年 末広講結成(願主 村上貞兵衛)
1850嘉永3年 重井村四国八十八カ所霊場建設(伝承)。(村四国)


また、三庄で刊行された「ふるさと三庄」には、


明治四十五年(一九一二)因島重井の大師講連中の発起で島内八十八ケ所に堂宇を設立し、大師入寂の旧三月二十一日を期して巡拝を始めたのが始まりである。
松本賢編、「ふるさと三庄」、三庄老青会連合会、昭和59年、p.37


と記されている。このことからも、重井村民の大師信仰の篤さが想像される。
なお、島内では前期のほか、三庄明徳寺山四国や三庄善徳寺内と因島公園鯖大師周辺に八十八ケ寺を配して、お参りできるようになっている。





また西国33観音霊場を勧請したものとして、


白滝山西国三十三観音札所
細島三十三観音
三庄観音寺三十三観音
三庄奥山三十三観音(ここには複数のものが混在している) 
中庄金蓮寺境内三十三観音
大浜福泉寺境内三十三観音
また椋浦金蔵寺跡には三体の三十三観音があるが実体は不明である。


また、因島周辺の島では、
生口島四国八十八カ所
生口島薬師寺一日島四国八十八カ所
佐木島四国八十八カ所 洲ノ上三十三観音
生名島四国八十八カ所
生名島立石山三十三観音
向島四国八十八カ所
向島地蔵院境内三十三観音
岩子島四国八十八カ所
弓削島四国八十八カ所
佐島四国八十八カ所
岩城島四国八十八カ所
岩城島浄光寺三十三観音


他に
笠岡市神島四国88
小豆島四国88
大島四国88
などが有名である。 


末広講

末広講の石碑が善興寺境内にある。

奉納四國中霊場 當村末廣講五百七人 願主村上貞兵衛 弘化四年 未三月吉日
と正面に彫られている。
驚くのは、五百七人という数である。