2015年9月18日金曜日

因島椋浦町 金蔵寺跡

むくのうらみち

艮神社の東が金蔵寺跡である。
かつて、観世音菩薩堂(観音堂)があった。
いまは島四国28番大日寺がある。


安政四年(一八五七)観世音菩薩堂(金蔵寺)の葺替を七三郎が、嘉蔵(地蔵本村上)と共に世話人となり行なっており、自ら大口寄付をしている。
平澤文人「千石船 椋之浦」p.122



2015.9.17. 地蔵本・村上家の古墓。
右端から一石五輪塔、五輪塔、家屋型、小地蔵。


2015.9.17. 地蔵本・村上家の古墓。後ろ側。
左下が一石五輪塔。さらに、江戸初期の供養塔など。


一方、廻船に資力を投じなかった村上と松井が目を引く。
松井は地元農林業のリーダーとして、村上は商いサービスで、廻船業を支える経済の脇役を演じた。
村上は地蔵本といい、三代目次郎兵衛が文政初年(一八二〇頃)千石船を一隻所有していたこともあるが、本格的に廻船業を営んでいない。
廻船業や関連経済を側面的に支える地元唯一の総合商社として寄与した。
祖は明らかではないが、子孫の方は戦国時代からの古墓を祀っておられる。
平澤文人「千石船 椋之浦」p.124














むくのうらみち