2015年9月4日金曜日

因島村上文書

村上水軍研究目次 古文書

(「因島市史」p.196〜)
一 備後国因島中庄預所下文(賜給田)  因島市史料第五集p.5
1備後国因島中庄預所中下文(賜給田)  因島市史」p.217

 
1備後国因島中庄預所中下文(賜給田)  因島市史」p.217
下 備後國因嶋御庄政所        下す備後国因島中御庄
 可早宛給田捌段内 四斗代 二段   早く給田捌段の内を宛て賜ふべし
               三斗代 二反
          二斗代 二反
          二斗代 二反
右公文清原守高可宛          右公文清原守高に宛て
賜之状所仰如件            賜ふべきの状所仰せの件の如し
  貞應九年十一月十一日
比良木祢宜鴨縣主(花押)


ニ 備後国因島中庄領家下文(公文職宛行) 因島市史料第五集p.5




(花押)
下 因嶋中庄
 可早宛行公文職事

右以人為彼職庄務所任先
例、可被沙汰状如件荘
官百姓等所宣承知、勿遺
失故以下
貞應三月ニ月六日


三 預所寄進状(放生会頭田)  因島市史料第五集p.6

寄進 放生会頭田事
  友貞名内輿田壱段半


この文書が興味深いのは今でも残っている字・友貞が出て来るからである。名田というのは開発者の名が付いた田んぼのことである。