2015年9月1日火曜日

因島白滝山 一観居士因縁記2

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等即身成佛と書き證有を見て
   等即身成仏と書き証有るを見て
ふつと心付我々とても人身を受
   ふっと心付き我々とても人身を受け
たる所は古人に別儀なし左なれバ
      たる所は古人に別儀なし、左なれば、
何卒即身成佛致度と思ひ廿五   
   何卒即身成仏致したく思い、廿五
才之年より何ことも彼ともわけも 
   才の年より何ごともかともわけも
なしに観卋音を親のよふに思ひ
    なしに観世音を親のように思い
念じ居申候所四十二才霜月に   
   念じ居り申し候所四十二才霜月に
観音如来の御徳を我にさ寿゛け入我我入 
   観音如来の御徳を我にさずけ入我我入
有りこれによつて予が體に妙なる星  
   有り、これによって予が体に妙なる星
出来るなり左ニ印ス但シ當年   
   出来るなり、左に印す、但し当年 
四十六才丑年なり        
   四十六才丑年なり

是ハ大日ノ星    これは大日の星
是ハ日輪      これは日輪
是ハ子ノ星     これは子の星
左ノ手内ノヅ    左の手内の図
右ハ面ニほし二ツ  右は表にほし二つ
左ノ手内ニ三ツ   左の手内に三つ
合五ツほし有り   合わせて五つほし有り
但シ色ハ紫なり   但し色は紫なり
右之通に相なり候ニ付異名ハ観音  
   右の通りになり候に付き異名は観音
道一観と改俗名ハ柏原伝六申者   
   道一観と改め、俗名は柏原伝六申す者
にて候我此身になりてより當年   
   にて、我この身になりてより当年
まで四年になるなり予此道にてハ  
   まで四年になるなり、予この道にては
全く四才之ものなりいかんとなれば 
   全く四歳のものなり、いかんとなれば   

振り仮名に「かしハばら」とあるが、これは筆写者が越後の人につき、そのように読んだが、重井村では「かしはら」と読む。

一度即身成佛すれバ死したるも同  
   一度即身成仏すれば死したるも同
やうなりさある事ハ正法眼蔵と申  
   様なり、さあることは正法眼蔵と申す
書に日ク妙を開く時ハ父ハ若クして 
   書に曰く、妙を開く時は父は若くして
子ハ老たりと有是を以つてかんがう 
   子は老いたりとあり、これを以て考う
゛し全く四才になる者なりと寿るべし 
   べし、全く四才になる者なりとするべし
一誠に卋に不思儀なる事有と    
   一誠に世に不思議なること有りと
思ふ人まれなり卋のふしぎなる事  
   思う人まれなり、世の不思議なること
を思ひ付ば是實の道にちかき    
   を思い付けば、これ実の道に近き
ものなり予が申寿事御き々下さ留  
   ものなり、予が申すこと御聞き下さる
可候人常に三界ハ唯一心と申す事有 
   べく候、人常に三界は唯一心と申す事有り、

左によつて唯一の道を開か祢ば三界 
   さによって唯一の道を開かねば三界
一心ハ志れまじきものなりこれを開 
   一心は知れまじきものなり、これを開
かふと欲天をうかがふ扁゛し凡眼に 
   こうと欲せば、天をうかがうべし、凡眼に
見る所の日りんさ満をよく考へ見よ 
   見る所の日りんさまをよく考え見よ、
天ハ八万由旬といへ日月のところ  
   天は八万由旬といえ、日月のところ
まで四面由旬といへこれ常に万人が万人 
   まで四面由旬といえ、これ常に万人が万人
いふところなり予が云く高山にのぼり 
   いうところなり、予が云えらく、高山にのぼり
日月星の出入りを見ようとぞ候東  
   日月星の出入りを見ようとぞ候、東
西出入間廿里にたりたるぞ出所   
   西出入る間廿里にたりたるぞ、出る所
平地か又ハ海方より出入有り故ニ  
   平地か又は海方より出入る有り、故に     

人山の峯に居て見る時ハ天三光  
   人山の峯に居て見る時は、天三光
出入ハ山よりするか低くし終時ハ
   出入りは山よりするか低し、終わる時は、
天ハ高きにもありまた低くきにも
   天は高きにもあり、また低きにも
ありこれらハふ志んにでもハござりませ
   あり、これらは不信にでもはござりませ
ぬか又ハ日月天に一ツづ々出玉ふ
   ぬか、又は日月天に一つずつ出給う
と云が常人の云なり出入ハやま
   と云うが常人の云うなり、出入りはやまやま
廿里許り日本の東西許りにて五六
   廿里ばかり日本の東西ばかりにて五六
百里とあり是を貳十里づ々で
   百里とあり、これを貳十里ずつで
日月の出入ありと寿れバ三十許り
   日月の出入りありとすれば、三十ばかり
日月を御座に成るりゆうなり
   日月を御座になさる理由なり 

南北もまた申ま志やう土佐の國で出
   南北もまた申しましょう、土佐の国で出
入を見ても卯より出て酉ニ入る怫國
   入りを見ても、卯より出て酉に入る仏国
の人の見ても卯の出て酉の入なり
   の人の見ても、卯の出て酉の入りなり
よこの里数ハ何ぞと云尤志゛しや
   よこの里数は何□と云う、もっともじしゃ
くのその筋ハ小さきその然る時
   くのその筋は小いさき、その然る時
よこに人をなら偏゛て志゛しやくをとら
   よこに人をならべてじしゃくをとら
せて見る時ハ壱人壱人の卯のけん
   せて見る時は、壱人壱人の卯のけん
より出玉ふにハあれやこれをとつて
   より出給うには、あれやこれをとって
土佐國より北國までのよこ人を
   土佐の国より北国までのよこ人を
おけバ何程のつもりができ左有時
   おけば何程のつもりができ、左有る時


日月かず一ツむかうの幾万も有り
   日月かず一つむこうの幾万も有り
これもふしんにハあらじや猶又子星ヲ
   これもふしんにはあらじや、なお又子(ね)の星を
以戸で見ても子のほしハ子に御座る 
   井戸で見ても、子(ね)の星は子にござる
長崎で見ても子のほしハ子二御座る
   長崎で見ても、子のほしは子にござる
これも一ツむかうのそらも御座成さる
   これも一ツむこうのそらもござ成さる
心有人ハかむがうべし天を開く人卋に
   心有る人はかんがうべし、天を開く人世に
まれなり然りといへども人にハ皆々
   まれなり、然りといえども人には皆々
明徳あり此明徳を質をとつて
   明徳あり、この明徳を質をとって
かくてそ質ハ土の如く明徳ハ天三光
   かくてそ質は土の如く、明徳は天三光
の如くこれ合して気質と云りこれ
   の如く、これ合して気質と云へし、これ 


をふたつにわけて明徳を明に寿ると
   をふたつにわけて、明徳を明らかにすると
大覚に有ル語なりと見へたりかる
   大覚に有る語なりと、見えたりかる
がゆへに人身を受たる人に明徳の
   がゆえに、人身を受けたる人に明徳の
あらざる人ハ壱人もなし左有ること二よつ
   あらざる人は壱人もなし、左有ることによっ
てむざに日をついやしてより家業
   て、むざに日をつやしてより、家業
手ま阿らば道徳之有る御人の所へ行て
   手まあらば、道徳の有る御人の所へ行きて
明徳のまけをまけてこそとらうよふに
   明徳の曲げを曲げてこそ、とろうように
かさるがよし独りといへども道を開き
   かざるがよし、独りといえども道を開き
たる人世にまれなり学者尊きもの
   たる人、世にまれなり、学者尊きもの
なりいかにとなれバ明徳を明に世寿
なり、いかにとなれば明徳を明らかにせず

んぞ道といふにあらし今ハ色
   んぞ、道といふにあらじ、今は色々
くふうを付凡生を寿てずして明
   くふうを付け、凡生をすでずして明
徳を明に志よふに思ひ亦佛者ハ
   徳を明らかにしように思い、また仏者は、
座ぜんをくふうをして明了八達をし
   座禅を工夫して明了八逹をし
たよふに思ひ是ハ布しきなまち
   たように思い、これはふしぎなまち
がいなりそれとなれバ前文に記所の 
   がいなり、それとなれば、前文に記す所の

天三光のとをいやらちかいやら日月は
   天三光の遠いやら近いやら、日月は
いくつ御座るやら長いやら天を開て   いくつござるやら、長いやら、天を開いて
見る事凡人にてハでき申さず
   見る事、凡人にては、でき申さず  予が事に
   予が事に     
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