2015年6月11日木曜日

因島城跡物語 第3景 釣島箱崎浦の戦い

いんのしまみち なかのしょうみち  みつのしょうみち はぶみち たくまみち
第3景の2

伝説とロマンの島 因島城跡物 著者 柏原林造、住原俊治、村上知之

第3景 釣島箱崎浦の戦い


2015.6.30.
市民会館、図書館のあるところが因島の支配者今岡通任の居城だった島前城跡である。今岡は東部の小早川氏に備えて、配下の大鳥義直を中庄茶臼山城主にした。伊予海賊衆の村上義弘亡きあとを統合すべく信濃国から村上師清がやってきた。義弘の元配下の多くは師清を大将としたが今岡はそれに従わなかった。当然のこととして師清は今岡の島前城を襲った。今岡は箱崎港前の釣島(鶴島)で抗戰したが数の多い師清軍に負け、因島本土まで押し返された。


島前城跡
生名島立石山より。


茶臼山城跡



 水軍城から見た茶臼山。背後の山は左から青影山、竜王山。
茶臼山城跡[所在地]因島中庄町茶臼。

太平記は飽くまでも一種の歴史的な文学作品であって、その中に多少の史料的要素を含有するに過ぎぬものと考えるのである。後藤丹治、釜田喜三郎校注、「太平記 一」、岩波書店日本古典文学大系34、1960、(引用は1983第22刷による)、p.20

いきなり、引用で恐縮であるが、ここの釣島箱崎浦の戦いは、太平記のような文学作品から得られた知識によって記すので、その性格を、しっかりと強調しておきたいと思う。

なお、文学作品と歴史的史料との関係は上記ページに詳しく書かれているが、孫引きになって煩雑になるので、これ以上引用しないから、自分で確かめてほしい。

最初から、「伝説とロマンの島 因島城跡物語」と書いて、伝説、ロマン、物語とフィクションのトリプレットであることを示しているのだが、それでも史実だと信じたがる人がいるので、ことさらに、特にここはフィクションですよ、と強調しておきたいのである。




➡️第3景の2 釣島箱崎浦の戦い
因島城跡物語短縮版