2015年6月4日木曜日

因島重井町 茶臼山城跡物語

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伝説とロマンの島 因島城跡物語

茶臼山城跡物語


2015.7.14.画:©tombosou 、協力:sumihara


城郭配置図。©tombosou 現地調査による。 

[所在地]因島重井町細島。茶臼山の山上。
[標高]43.5m
[城廓]本丸、西の郭、北の郭、武者走り、空堀
[城主]弓瀬氏二代、宗三郎。
[史跡]麓の東の丘の荒神社に五輪塔が数基ある。民家の庭先にもある。
[現状]本丸跡に小祠2、燈籠1。
[その他]
[交通]因島重井西港か15分で細島港。細島港から徒歩10分。
[歴史]因島村上氏6代村上吉充が向島余崎城から重井青木城に移ったとき、三原重井間の要害として砦を設けた。細島は山伏が住んでいて山伏島と呼ばれていた。


茶臼山。©623crystal

青木城の因島村上氏6代の吉充は、小早川隆景配下の一武将といってもよいだろう。その主従の間を隔てるのが海である。三原と青木の間には海もあるし、島もある。青木城の目の前に小細島があり、さらに細島がある。戦時であろうと非戦闘時であろうとここに砦の一つでも置いておきたいのは、何も吉充だけのことではなかろう。小細島はやや狭いが、細島となると、人を置いておいてもよいだけの広さがある。南北に入り江のある、西方の小山である茶臼山に小城を置いたのは慧眼であろう。

ところで、細島と青木城との間を今でも山伏の瀬戸と言うが、細島のことを古くは山伏島とも呼んだというから、山伏が住んでいたのだろう。田熊の山伏山城跡といい、因島と山伏との関係はわれわれが思う以上に深いものがあったのかも知れない。それと関係あるのかどうかはわからないが、因島の宗教は、主として北部の曹洞宗に対して南部は真言宗である。

村上吉充が青木城築城に際して、白滝山に観音堂を作って東の要害とし、その堂主を常楽院静金を当てたというのは、白滝山の歴史の必ず最初に出て来る。その常楽院静金が山伏だったと聞いても、驚かない。なぜならば、常楽院という屋号の家が重井にはあり、そこに修験道に関する古文書が残っていると「因島市史」に書いてあるからだ。

白滝山山頂から東を見れば、灯ともす頃になれば灯台の点滅する百貫島の左のほうに田島、横島が見える。その田島、すなわち福山市内海町に常楽院というお寺があるので、行って見たが、上記の常楽院とは関係はなかった。しかし、犬も歩けば良い棒に当たることもあり、村上水軍の墓というのがあり、因島村上氏と戦った能島村上氏の墓があった。この因島村上氏というのは大浜・幸崎城のことであったので、この話はそこで述べた。そちらを読んでほしい。

初夏のある日、孫別荘の候補地を見るために、半世紀ぶりに渡り、半日ほど散策したが、細島はまことによい土地であった。
新しい言葉を作ったら説明しておかなければならない。なぜ孫別荘か? 因島での滞在地が別荘なら、こちらは孫別荘ということになるではないか。何とリッチなと驚くに当たらない。別荘といっても、古い実家のことだし、孫別荘「なぎさ亭」というのは荒れた畑の隅の物置小屋のことである。老人と海の世界を生きているつもりで、赤毛のアンの世界を演じているだけである。浮城の幻影を彼方に見て、暮れゆく細の洲を眺めなら、海沿いのベンチでビールでも飲んでいたら、雀島に関する創作民話のひとつぐらいは書けそうである。
荒神社と呼ばれている山懐の丘に五輪塔が数体あったから、当時のものかもしれない。土生の長崎城のうしろの城跡を荒神山城跡という。ナティーク城山から東を見ると、「土生」という地名を象徴するような急な傾斜地に石段があり、その上に鳥居と燈籠がある。そこである。
話を重井に戻そう。ダバオの上にあるのも荒神社、こうじんさんである。須越と上坂の間の、島四国81番の白峰寺のあるところである。あるいは、柏原神社(柏原廟)のあるところである。さらに歴史を遡れば、善興寺に統一される前の重井四廃寺のひとつ、無量寺のあったところでもある。
また、ここは重井小学校の校歌の作詞者、福山の詩人・木下夕爾さんが作詞するに当たって取材に訪れたところである。静かにたたえる緑の海の、潮の香りのただようところ、で始まる歌詞は秀逸である。島内各小学校の校歌は、ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む・・の葛原𦱳(しげる)氏、「コタンの口笛」の石森延男氏、そして地元の中郷茂雄校長先生の作詞で、それぞれ素晴らしいものであるが、木下夕爾さんの言葉は特に美しい。
その重井の荒神さんがなぜ柏原神社になったのか、長い間不思議に思っていたが、先日、青木城武将配置図なるものの不鮮明な写真を見て、遠見山の隣りの、この位置の文字が、かすかに「柏原土讃守」(かしはらとさのかみ)と読んで読めないことはないではないか。須越か上坂あたりに柏原土讃守が住んでいたという伝説でもあればよいのだが・・
さらにもうひとつ、土生の小丸城の土生側の谷に宝地谷というのがある。変電所の南にある空谷の南西側である。そこには第二家老稲井氏の墓跡と荒神社がある。また、重井町馬神新開の遊水池排水ポンプの近くの小祠には「馬神山 荒神社」とあった。この茶臼山城も荒神社に近い。中庄の小丸山城跡の東に地頭屋敷跡がある。この東にも荒神社がある。いや、ここは釜田の荒神社の西が地頭屋敷跡だと説明した方がわかりやすい。このように、併せて6例、そのうち5例が水軍と荒神社との近縁を語っている。荒神社は瀬戸内地方に多い。もちろん山間部にもある。岡山県が約200、広島県が約150である。


いんのしまみち しげいみち
因島城跡物語 序章 中庄小丸山城跡物語 片刈山城跡物語 島前城跡物語 竹島城跡物語 堂崎山城跡物語 一ノ城跡物語 茶臼山城跡物語 竹島箱崎浦合戦 長崎城跡物語 荒神山城跡物語 青影城跡物語 山伏山城跡物語 大江城跡物語 天神山城跡物語 土生小丸城跡物語 百梵山城跡物語 千守城跡物語 三庄土井城跡物語 美可崎城跡物語 幸崎城跡物語 大浜土井城跡物語 青木城跡物語 馬神城跡物語 天秀庵城跡物語⬅️ 細島茶臼山城跡物語 ➡️終章 参考文献