2015年6月12日金曜日

福山市鞆町 大可島城跡物語



いんのしまみち 福山市のみち 

伝説とロマンの島因島 島外城跡物語  著者:sumihara、tombosou623crystal 

大可島城跡物語

[所在地]広島県福山市鞆町。
[標高]
[城廓]
[城主]1544天文13年7月〜1591天正19年、
村上亮康(すけやす)(因島村上氏6代吉充の弟)。「鞆殿」と呼ばれて鞆浦を支配。
[史跡]船隠し(東の海岸沿いの海蝕洞) 
[現状]真言宗円福寺の境内。
[その他]
桑原一族の五輪塔(門前)
[交通]
[歴史]南北朝時代、中国探題の足利直冬が探題府を置いた。戦国時代、1544天文13年7月大内義隆から「鞆浦内十八貫」を与えられ、村上亮康(因島村上氏6代吉充の弟)が本拠とする。


戦国時代に村上水軍が活躍するようになると、瀬戸内海の中央潮待ち港としての鞆の軍事的な価値は見のがすところではなく、1544(天文13)7月3日付の大内義隆が因島の村上新蔵人吉充にあてた書状③に「鞆浦十八貫文の地を宛行う」意味のものがあって、村上氏が鞆を領有していることが判明する。そして大可島城が村上水軍の拠るところとなっている記録は諸書に見られる。
註③因島金蓮寺蔵村上家文書。可合早領知備後国安那郡鞆浦内十八貫文足事右以件人所宛行也、者守先例可全知行之状如件(大内義隆) 天文十三年七月三日 村上新蔵人
福山市教育委員会「鞆城跡の発掘調査 1975」p.5、8

なお、当時は島であったものを、後、福島政則の鞆城築城時、埋立てて陸続きとなったと伝えられている。
福山市教育委員会「鞆城跡の発掘調査 1975」p.3


参考:田口義之、「備後戦国紀行」、福山市観光客誘致協議会、2012、p.36

福山市史編纂会編、「福山市史 上」、福山図書刊行会、1993、p.222

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