2015年6月11日木曜日

因島城跡物語 第5景 大楠の山

いんのしまみち たくまみち
伝説とロマンの島 因島城跡物

第5景 大楠の山


2015.6.28.画:©tombosou 、協力:sumihara
田熊の巨大な楠(クスノキ)は感動的である。水軍城を見る前にぜひ大楠を! というのは、ここが因島村上氏の発展の大立役者宮地氏が最初に住んだ天神山城跡だから。ここから生口橋方向を見ると、ふた瘤(こぶ)の山がある。山伏山である。山頂には平坦地があり、遠見岩が残っているから、砦があって、狼煙(のろし)を見張ったに違いない。


青影山から。©tombosou


©tombosou

生口島牡蠣山から。©tombosou
山伏山城本丸跡。 ©tombosou

遠見岩。©tombosou

天神山城から眺め。©tombosou


怨霊史観というのがあるかどうかは知らないが、歴史現象を祟りによるという見方を、私などは怨霊史観と呼んでいる。例えば、治承寿永の源平の騒乱を、讃岐に配流された崇徳上皇の祟りだと考える歴史観である。
日本史で祟りのベスト3を挙げれば菅原道真公も入るのではないかと思う。そのせいか、とおりゃんせの歌は、天神様の細道じゃ、というあたりから俄然怖くなる。行きはよいよい帰りは怖い。その通りである。みんな経験している。集団登校でない時代でも、学校へ行くときの時間帯はだいたい同じであるが、帰りはバラバラである。帰りは怖いのである。中学校や高校になっても部活などしていると、さらに帰りは怖いのである。社会人になっても千鳥足で暗い夜道を一人で帰っていると、やはり怖いのである。
だから、横断歩道に流れるメロディーにこの歌が使われるものよくわかる。横断歩道は怖いのである。行きも、帰りも。帰りが特に。

さて、その天神さま、すなわち菅原道真公は祟るほどの強い力をもっていたというのは、それほど学問ができたからということだろう。そのせいか、どこでも学問の神様、受験の神様として多くの方がお世話になってきたはずである。しかし、田熊の天神さまには、その賑わいが感じられなかった。深夜営業のコンビニやスーパーができて、世の中の夜が明るくなって、魑魅魍魎がいなくなると、祟りも少なくなり、受験の神様のご利益も少なくなったということであろうか。

しかし、この菅原神社のある天神山城跡は、もっともっとすごいご利益のあるところだということをみんな忘れているのではないか、と私は思う。
なぜか。
因島宮地氏が因島に来て最初に住んだところだからである。
日本上水道の歴史はクボタの歴史である、というのに習っていえば、因島の歴史は宮地氏の歴史である、と私は思う。村上水軍というよりも、宮地水軍だったのではないか、と私は思う。
繰返して書く。その宮地氏が因島に来て、最初に住んだところがこの天神山城なのである。これほどのパワースポットが他に因島にあるだろうか。

では、因島宮地氏が天神山城に住んだということがどこに書いてあるか、記しておこう。それは、「因島市史」p.293であるから、容易に確認できる。
ただし、それが100%の真実かというと自信はない。そこには、中島忠由氏の調査作成によると書いてある、因島大竹屋宮地家系譜が記してあり、「備後国因島長崎城主村上備中入道吉豊に頼って、田熊天神山城に居る。」とあるだけだから。


城跡物語短縮版