2015年4月3日金曜日

因島重井町 村上勘兵衛

しげいみち
村上勘兵衛 略歴(「米寿記年詩鈔」による。)
明治45年3月1日。広島県御調郡重井村出生
明治36年3月   広島師範学校卒業
昭和44年5月3日 「米寿記年詩鈔」出版
昭和53年11月26日 逝去


「米寿記年詩鈔」
著 者 塵外 村上勘兵衛
編 者 怡斎 大東和徳雄、呂南 田中勝義、翠石 久保田武徳
発行所 村上塵外詩鈔刊行会
昭和四十五年五月三十日 発行





除虫菊と云へば村上勘兵衛翁が連想されるほど、地元生産者はもとより農林省および県の係官、さらに除虫菊メーカーなど異口同音にこの人をおいて人は無いと洩らされるほど余りにも有名な存在である。
昼田栄編、「広島県農業発達史 第四巻」、広島県信用農業協同組合連合会、昭和五十年、p.531、元広島県経済連参事石井智邦氏寄稿「除虫菊共販のつれづれ」より。


また、前掲「広島県農業発達史 第四巻」にはp.553から「村上勘兵衛氏の活動事績」が記されている。その一部を紹介する。
村上氏が除虫菊とかかわりができたのは、明治四十三年同氏が重井村収入役に就任されてからで、以来同村の助役、村長、産業組合長、農業協同組合長などを歴任し、昭和四十年同村農協を退職されるまで実に五十余年をこえる長い間、除虫菊の振興発展に心血をそそがれた、全国的にも稀にみる除虫菊の功労者であった。
昼田栄編、「広島県農業発達史 第四巻」、広島県信用農業協同組合連合会、昭和五十年、p.553

瀬戸内の島々には、除虫菊の普及定着に貢献した人々の事跡も多く残されている。因島・重井村の村長・村上勘兵衛の名も除虫菊の歴史とともに語り継がれている。1930〜31の農業恐慌のおりも島の人々は「除虫菊のおかげで悠々と暮らせた」と今も語り草になっている。(神田三亀男)
南々社編、「瀬戸内海事典」、2007年、p.368、


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