2015年3月19日木曜日

尾道市因島土生町箱崎 島前城跡

いんのしまみち  はぶみち たくまみち 史跡散歩
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2016.7.5.因島モールから。
2016.7.5.因島モールから。



2016.7.4.大山峠から。






島前城跡配置図。田中稔「因島史考」p.10による。

2016.8.16.長源寺谷。ここから右後ろへと谷が続き、田熊側では「寺迫」と呼ばれる。

2015.3.22.田熊・天神山城跡から見る。
2015.3.25.田熊町・山伏山から。

2015.5.31.13:52。田熊側青影山登山道より。

ここの歴史は長い。以下、田中稔「因島史考」p.10より、抜粋。
鎌倉時代。開発名主・因島本主治部法橋上原祐信の居館。持仏堂が長源寺。守護神を耳明神社に祀る。(配置図参照)しかし、元弘3年(1333)の元弘の変で絶家。
1377天授3年 霜月15日。信州更級から下向した村上師清、今岡勢を破る。(釣島箱崎浦の合戦)
後、村上四郎左衛門尉直吉の居城となる。(竹島城主、岩城亀山城主を兼ねる)。
1577天正5年 島前の長源寺焼失。(以後、中庄へ移り長福寺となる)。

法橋について
また光照寺に於いても存覚から、法眼隆圓筆の絵伝をもらっている。その作者の隆圓については史料をめくっているがいまだ、何物かわからない。法眼というのは、中世医師、画工、連歌師などに授けられた位であって法印、法眼、法橋となる。
堤勝義、「中世備後の宗教・在地武士」、渓水社、1992、p.8


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