2015年3月6日金曜日

因島大浜町 斎島神社

おおはまみち
2015.3.4.総覧19 齋島神社(いむしま神社)。総覧24 齋島神社 石柱。
総覧25 齋島神社 石柱。総覧26 齋島神社 石燈籠。
総覧20   齋島神社 石鳥居。総覧21 齋島神社 狛犬。

拝殿。
拝殿の内部。格子の隙間から。
鳥居と山門の間にある。
説明板。

広島県、「神武天皇聖蹟誌」(昭和16)p.143に次のようにある。
備後大濱村の伝説 因島大濱村字黄幡に鎮座する村社斎島神社境内に一石碑があって 
斎島宮記略 往古神倭伊波禮毘古命有事航臨于東國時為風波祟即上坐于此塞崎山而斎數日祈誓于天神是所以此島謂斎島也後變于隠島于誤訓也以其由來重故神亀四年卯十一月十五日厚奉殿祭于此山矣其記書深蔵于我家事實詳也 青蔭城主 村上備中守義資誌
と誌し 
御留松 艫取松とも云ふ神武天皇上陸あらせられし時御船を繋ぎ留められし處と云ふので其松目通り二十五尺高さ百三四十尺地上を覆ふこと五百餘坪に及ぶものもあり、之に関連する和歌
仰ぎ見る神の御室の彌ちこに御稜威は高き隠島の松
隠島の大濱浦に船とめて雨かと聞けば松風のおと
打よする大濱浦の磯の上古きむかしのともとりの松
天王松 御上陸の時玉體を憩はせ給ひし處といふ其樹下に御座石と稱するものがある。
御座石 面に「御座石」「神亀四年十一月」と刻す。
の如き口碑を傳えてゐる。
而して前記斎島(イムシマ)神社は
旧稱王太子神社と稱し
正哉吾勝々速日天之忍穂耳命
神倭磐余彦之命
誉田別之命を祭神とするが、其の由緒を尋ねれば神亀四年十一月十五日創立にして隠島一宮と云ひ、明治三十年三月十六日神倭磐余彦命を合祀、四卅二年六月七日村社に列格、同年月日斎島神社と改稱、同卅三年六月日誉田別之命合祀せりと言はれる。
由来、因島は三代實録に「元慶二戊戌十二月十五日丙子授備後國無位隠島神従五位下」と見えるを始として和名抄にも因島とあり建久二年には長講堂領となり以て室町時代に及んでゐるが、應永十四年目録に高濱社なる名の見ゆるを以て之が斎島神社の由緒から見てその前身に比定せられるのである。

寔に前後四百年皇室御領となり且つ中世以降水軍の根遽地である此島に神武天皇の伝説を留めることは當然ありうることであらう。




佐伯有義編「六国史. 巻10 (三代実録巻下)」(朝日新聞社、昭和16)p.156 (三代実録 卷第卅四 元慶二年十二月十五日)に次のように「十五日丙子、授備後國無位隠嶋神従五位下(十五日丙子、備後の國無位隠嶋神に従五位下を授く)とある。元慶二年は878年である。

この隠島神社が自社であるとする神社は、大浜の齋島神社の他、重井の大疫神社(祇園社)、中庄の隠島神社、外浦の住吉神社、三庄の五柱神社がある。




総覧
22 島神社 狛犬
23 齋島神社 手水鉢
27 齋島神社 手水鉢  
北側小山が幸崎城跡である。




おおはまみち