2015年3月30日月曜日

笠岡市押撫 仁池

笠岡市のみち
2015.2.23.

2015.2.23.

仁池 東西二十二間南北二十三間周回百二十間本村西方ニアリ田畑ノ用水トナス
笠岡市史編さん室編、「笠岡市史 史料編上巻」、笠岡市、平成十一年、p.233。皇国地誌」(明治九年編)の備中国小田郡押撫村。

笠岡市のみち

井原市井原 市民病院

井原市のみち

*****地図*****
************
2014.11.24.
2014.11.24.
2014.11.24.






井原市のみち

福山市幕山台 動物

福山市のみち
2015.11.24.8:39。幕山台。


因島重井町 しまなみ海道

しげいみち
2014.11.29.ハーフインター。尾道→四国方向からの因島出口。因島南インターから因島へ降りれない。

しげいみち

福山市 山陽道

福山市のみち
2014.11.4.17:00。下り。福山西インター前。
2014.11.4.17:01。

福山市のみち

尾道市向島 岡島(小歌島)城跡

尾道市のみち

*****地図*****
************
2016.12.17.


2015.10.7.





2015.9.26.向島、大元神社より。この山の向うにある。




古い絵はがき。







尾道市のみち

尾道市 尾道大橋2014

尾道市のみち
2014.11.4.17:09。
2014.11.4.17:09。





尾道市のみち

尾道市向島 しまなみ海道2014 

2014.11.4.17:10。


尾道市のみち

因島中庄町 天狗山

なかのしょうみち
2014.11.4.17:22。
2015.4.11.小丸城跡付近から仰ぐ。



なかのしょうみち

2015年3月29日日曜日

井原市大江 明星寺

井原市のみち
2015.1.5.井原市大江になる。
2015.1.5.基台も見事。


寺 明星寺 面積弐反四畝廿九歩真言宗西京大覚寺末派ナリ慶長年間創建原由詳ナラス

笠岡市史編さん室編、「笠岡市史 史料編上巻」、笠岡市、平成十一年、p.241の「皇国地誌」(明治九年編)、備中国小田郡大江村。

井原市のみち

2015年3月28日土曜日

因島三庄町 森神社

みつのしょうみち
2015.3.21.三庄町小用。残念ながら説明板が読めない。
総覧61 森神社 境内入口注連石柱(1対)。

2015.3.21.




2015.3.21.三庄町小用。残念ながら説明板が読めない。
2015.3.21.坂を登ると平地がある。総覧62 森神社 境内入口石鳥居。

2015.3.21.総覧63 森神社 境内入口手水鉢。 

2015.3.21.南側に拝殿がある。総覧64 森神社 拝殿注連石柱(1対)。



2015.3.21.拝殿の扁額。
2015.3.21.拝殿の内部。

神田新開の名と共に氏神森神社は宮ケ内秦氏が創建した稲神宇賀御魂大神(いねのかみうがみたまのおうがみ)と須佐男命と先導神猿田彦命を合祀した古宮だが、大正時代の初めまでは備後クラブの敷地にあったのを大正十一年(一九二二)松本頼一氏、石田ヒロ氏らにより現在地に移転した由である。
松本賢編「ふるさと三庄」、p.33


みつのしょうみち

因島三庄町 古地名

みつのしょうみち
 松本賢編、「ふるさと三庄」、三庄老青会連合会、昭和59年、p.45による。

みつのしょうみち

因島重井町 一本松

しげいみち

*****地図*****


************
2014.11.8. 説明板。



2014.12.10.総覧86 一本松碑。 総覧88 石碑(一本松)。(左の寄付碑?)

2014.10.26.

2014.10.26.総覧87 石灯籠。

2014.12.6. 総覧79 顕彰碑。


2015.2.7.側面。

イメージ 1

背後の山は左側が村上水軍馬神城跡、中央が青木城跡。

賽除虫菊神社

         塵外作  

   偉哉霊薬除虫菊

   成就天慈地澤深

   欲攘坤圓球上穢

   發揚清浄自然心


2016.4.8.



2016.4.8.



****昔の一本松付近****


因島中庄町 光明寺

なかのしょうみち

2015.8.26.

2015.8.26.

2015.8.26.

2015.8.26.

西浦峠の奥乃院
2015.1.4.西浦峠。
2015.2.4.奥の院「往生院」。
2015.2.4.往生院の内部。
2015.2.4.石土山。


参考:
龍王山光明寺
天台宗寺門派であったが総本山に独立。本尊は石土蔵王権現。別に奥の院として入峰修行の場所がある。中庄町大江山から天狗山へ、さらに西久保山へ勧請祭祀。入峰登山大会を行う。
青木茂編、「因島市史 全」、因島市史編集委員会、昭和43年、p.883



なかのしょうみち

2015年3月27日金曜日

尾道市因島 古文書

いんのしまみち

878元慶2年戊戌。12月15日。三代実録。
十五日丙子、授備後國無位隠嶋神従五位下、
(十五日丙子、備後の國無位隠嶋神に従五位下を授く)。
佐伯有義編、「六国史. 巻10 (三代実録巻下)」、朝日新聞社、昭和16年、p.156


1222貞応元年壬午。11月11日。因島村上文書。
因島中庄預所下文
下 備後國因嶋中御庄政所
 下早宛賜給田段内四斗代 二段
          三斗代 二反
          二斗代 二反
          一斗代 二反
右公文清原森高、可宛賜之状、所仰如件、
    貞應元年十一月十一日
  比良木祢宜縣主(花押)
「広島県史 古代中世資料編Ⅳ」、p.551

(沼隈郡)(田)
備後國多嶋地頭事、為給分所充行也、早任先例可致沙汰之状如件
正長元年十月廿日 (時花押)
  村上備中入道(吉資)殿 
「広島県史 古代中世資料編Ⅳ」、p.553 (職、熈 は別字)


1301正安3年辛丑。5月12日。東寺百合文書。な函/88/1/ 。
六波羅裁許状案  
地名:後国因嶋内三津庄

1301正安3年辛丑。4月日。東寺百合文書。な函/88/2/ 。
備後国三津庄地頭代頼円和与状案  
地名:後国因嶋内三津庄
「因島市史」、p.52

1331元弘元年11月8日。東寺百合文書。な函/88/4/ 。
備後国三津庄常光院年貢塩代銭送進状案 


11月17。日東寺百合文書。な函/88/5/
法橋真□(祐)奉書案
地名:備御国因嶋三津庄


1332正慶元年12月8日。東寺百合文書。な函/88/3/ 。
備後国三津庄常光院年貢塩代銭送進状案  
地名:備御国三津庄

1333元弘3年11月30日。浄土寺文書。
三十日、庚申備後浄土寺空教ニ因島地頭職ヲ賜ヒ、祈祷ノ誠ヲ致サシム、
東京大学史料編纂所編、大日本史料」 第6編之1、東京大学、明治三十四年、p.296

『新修尾道市史第六巻』p.133 資料13


1334建武1年2月23日。浄土寺文書。
備後浄土寺空教ヲシテ、匡徒ノ濫妨ヲ停メ、因島地頭職ノ所務ヲ全クセシム、
東京大学史料編纂所編、大日本史料」 第6編之1、東京大学、明治三十四年、p.460
『新修尾道市史第六巻』p.133 資料14
『新修尾道市史第六巻』p.133 資料15

1335建武2年3月15日。浄土寺文書。
備後国因島地頭職停止、衣河孫五郎入道・・・
『新修尾道市史第六巻』p.135 資料19
備後浄土寺空教ヲシテ、更ニ衣河道一等ノ、因島地頭職ヲ濫妨スルヲ停メ、所務ヲ全クセシム、
東京大学史料編纂所編、大日本史料」 第6編之2、東京大学、明治三十四年、p.334

1336建武3年3月4日。
浄土寺雑掌為俊申、備後国因島事、早・・・
『新修尾道市史第六巻』p.135 資料21

1336建武3年3月4日。
浄土寺雑掌為俊申、備後国因島事、早大田・・・
『新修尾道市史第六巻』p.135 資料22

1336建武3年3月6日。
浄土寺領備後国因島地頭職事、・・・
『新修尾道市史第六巻』p.135 資料23

1336建武3年3月7日。
浄土寺領備後国因島地頭職事、去二月・・・
『新修尾道市史第六巻』p.135 資料24

1337建武4年。浄土寺文書。因島庄地頭方年貢注文。(『広島県史古代中世資料編Ⅳ』)
千六百六十五俵三斗五升六合。
合 中庄分 一名々塩 巳上塩・・・
『新修尾道市史第六巻』p.140


因島には、中・三津・重井の三庄があり、これらが塩を生産して年貢として納めていたことはすでによく知られているところである 山内譲、「南北朝室町期の弓削庄と水運」(『瀬戸内社会の形成と展開−海と生活』(雄山閣)、p.202

1338暦応1年1月10日。東寺文書。
寄進東寺 備後国因島相模左近将監入道恵清題 摂津国美作庄・・・
『新修尾道市史第六巻』p.140
尊氏、東寺に河内新開荘の替地トシテ、備後因島、及ビ摂津美作荘ヲ寄附ス、
東京大学史料編纂所編、大日本史料」 第6編之4、東京大学、p.688

1341暦応4年3月28日。浄土寺文書。
東寺領備後国因島地頭方雑掌・・・
『新修尾道市史第六巻』p.143 資料34

東寺領備後国因島地頭方雑掌・・・
『新修尾道市史第六巻』p.143 資料35

幕府、東寺領備後因島雑掌朝祐ノ訴ニ依リ、重ネテ備後守護ニ令シ、広沢五郎等ノ、安芸生口島ノ悪党ヲ誘ヒテ濫妨スルヲ停メシメ、又、安芸守護武田信武ヲシテ、悪党ノ交名ヲ注進セシム、
東京大学史料編纂所編、大日本史料」 第6編之6、東京大学、p.721


1341暦応4年8月27日 1条、東寺文書、東京大学史料編纂所編、大日本史料」 第6編之6、東京大学、p.916
直義、東寺長者賢俊をシテ、同寺領備後因島、摂津美作荘地頭職ヲ均分シテ、同寺修造料及ビ大勝金剛千手供修法料ニ充テシム、


1343康永2年4月14日。鼓文書。
南党大館右馬亮、備後因島城ニ拠ル、是日、北軍攻メテ之ヲ逐フ、尋デ、城主広沢五郎降ル、
東京大学史料編纂所編、大日本史料」 第6編之7、東京大学、p.613

1347貞和3年丁亥。6月是月。浄土寺文書。
幕府、東寺の訴に依り、建長寺長老をして、安芸竹原荘住人茂重、及び其子愛鶴丸等の東寺領備後因島の年貢を抑留せるを停め、之を同雑掌に交付せしむ、
東京大学史料編纂所編、大日本史料」 第6編之10、東京大学、p.737

1347貞和3年丁亥。10月9日。東寺百合文書。
東寺領備後因島雑掌、建長寺領安芸竹原荘住人小早河氏平等ノ年貢ヲ抑留セルヲ訴フ、幕府、建長寺雑掌政賢ヲシテ氏平等ヲ召進セシム、是日、政賢、其人領内ニ住セザル旨ヲ具申ス、
東京大学史料編纂所編、大日本史料」 第6編之10、東京大学、p.922

1348貞和4年戊子。六月十四日。東寺百合文書。64 4/652
64小早河氏平備後因嶋郷代官職請人請文 (端裏書)「小早河五 

1351観応2年4月是月。浄土寺文書。
東寺雑掌定祐。江見道源ノ同寺領備後因島ヲ濫妨スルヲ停メ、下地ヲ雑掌ニ交付セラレンコトヲ幕府ニ請フ
東京大学史料編纂所編、大日本史料」 第6編之14、東京大学、p.983

東寺雑掌定祐謹言上 欲早被成下・・・
『新修尾道市史第六巻』p.150資料53


1366貞治5年9月14日。東寺百合文書。
幕府、東寺雑掌頼憲ノ訴ニ依リ、渋川義行ヲシテ、小早川備後入道ノ同寺領備後因島地頭職ヲ濫妨スルヲ停メ、半分下地ヲ頼憲に交付セシム、
東京大学史料編纂所編、大日本史料」 第6編之27、東京大学、p.431
p.433まで関連文書あり。



1367貞治6年10月14日。東寺百合文書。
幕府、重ネテ、渋川義行ヲシテ、小早川備後入道ノ東寺領備後因島地頭職ヲ、多治部師景ノ同寺領備中新見荘領家職を濫妨スルヲ停メ、各其下地ヲ雑掌頼憲ニ交付セシム、
東京大学史料編纂所編、大日本史料」 第6編之28、東京大学、p.517
以下関連文書多数。

1386至徳3年3月10日。小早川什書。
十日、義満、備後三津荘領家職ヲ、小早川弘景ニ輿フ、
東京帝国大学文学部史料編纂所編、「史料綜覧.」巻7、朝陽会、1933、p.164

1386至徳3年8月7日。東寺文書〔参考〕系圖纂要。
幕府、山名時義ヲシテ、備後因嶋地頭職ヲ東寺雑掌ニ交付セシム、
 東京帝国大学文学部史料編纂所編、「史料綜覧」、 巻7、朝陽会、1933、p.167


1387嘉慶1年閏5月12日。東寺文書[附録]東寺文書。
十二日、義満、東寺ニ備後因島ヲ安堵セシム、
東京帝国大学文学部史料編纂所編、「史料綜覧」、 巻7、朝陽会、1933、p.173頁


寄附 東寺
 備後国因島地頭職事
右、所召返小早河備後守貞平所給
観応二年于時号正平六十二月十九日御下文也、
者、早任建武五年正月十日御寄進状、
如元、所寄附之状、如件、
  至徳四年潤五月十二日
(足利義満)
右大臣源朝臣(花押)
文書名:足利義満備後国因島地頭職寄進状 せ函/足利将軍家下文/23/ 至徳4年閏5月12日(1387)
京都府立総合資料館 東寺百合文書WEB 。


1389康應1年9月6日。東寺文書。
幕府、伊豆守山名義照ヲシテ、備後因島地頭職ヲ東寺雑掌ニ交付セシム、
東京帝国大学文学部史料編纂所編、「史料綜覧」、 巻7、朝陽会、1933、p.187

1440永亨12年卯月23日
『新修尾道市史第六巻』p.159 資料98

1457長祿2年4月是月。東寺百合文書。
是月東寺、梨羽某ノ、同寺領備後因島地頭職ヲ押領スルヲ停メラレンコトヲ幕府ニ請フ、
東京帝国大学文学部史料編纂所編、「史料綜覧」、 巻8、朝陽会、1933、p.81




1460寛正1年11月9日 。東寺百合文書。
九日、東寺、小泉氏平ノ、寺領備後因島、弓削島代官職ヲ押領スルヲ停メラレンコトヲ幕府ニ請フ、
東京帝国大学文学部史料編纂所編、「史料綜覧.」巻8、朝陽会、1933、p.117

1462寛正三年四月廿八日。東寺百合文書。ち17-25 4/260
17-25二十一口方評定引付同廿八日権僧正快寿公禅仁然尭忠

1464寛正五年四月十二日。東寺百合文書。ち18-24 4/312
18-24二十一口方評定引付同十二日権僧正融覚杲覚尭杲宗杲

1464寛正五年十二月二日。東寺百合文書。18-88 4/354
18-88二十一口方評定引付十二月二日融覚公禅仁然尭忠杲覚

1544天文13年7月3日。村上文書。
大内義隆、備後村上新藏人ニ所領ヲ充行フ、
東京帝国大学文学部史料編纂所編、「史料綜覧」、 巻10、内閣印刷局朝陽会、1938、p.196

1582(天正十年壬午) 四月廿四日。吉川石見文書。 98 3/91
当候て之儀候処、能嶋平岡黒河因島手を替、此方無二令馳走、来嶋

1483文明15年11月15日。因島村上家文書。
「右所々御判地は申すに及ばず、そのほか私領ならびに札浦等事、亀若丸ゆつり渡す者也、先例を守り、相計い、御屋形様(山名政豊)様江余儀なく奉公致すべく候」とある。これによれば、「札浦」は「御判地」でもなく、「私領」でもないが、譲与の対象となる支配地といえる。岸田裕之、『毛利元就』(ミネルヴァ書房)、p.251

1585天正13年2月11日 。村上文書。
毛利輝元、小早川隆景ヲシテ、因島吉充父子ニ保護ノ意ノ渝ラザルコトヲ伝ヘシム、
東京大学史料編纂所編、大日本史料」 第11編之13、東京大学、p.265

1605慶長十年乙巳。十二月十四日。毛利文書。1284 4/107
(花押)磯兼助兵衛尉(花押)因島又三郎(花押)乃美四郎兵衛尉

(年未詳)正月十三日。小早浦写 34 2/66
 一因島明日可来之由、得其心候、打続

(年未詳)正月十五日。小早浦写 35 2/67
今晩御出候者、彼是申承度候、因島逗留候而、今日中若御隙入候者






参考:
上島有、大山喬平、黒川直則編、「東寺百合文書を読む」、思文閣出版、1998



古文書一覧

因島市史料 第1集
因島市教育委員会、1900年、【ページ数】127p

因島市史料 第2集
因島市教育委員会、1957年、【ページ数】98p

因島市史料 第3集
因島市教育委員会、1900年、【ページ数】56p

因島市史料 第4集
因島市教育委員会、1900年、【ページ数】83p

因島市史料 第5集
因島市教育委員会、1965年、【ページ数】40p

因島村上家文書(広島県重要文化財)

因島市史料 第6集
因島市教育委員会、1965年、【ページ数】68p
能島来島因島由来記

因島市史料 第7集
因島市教育委員会、1966年、【ページ数】109p

村上 喜兵衛/著  武家万代三島海賊家軍日記

因島市史料 第8集
因島市教育委員会、1966年、【ページ数】94p

村上 喜兵衛/著  武家万代三島海賊家軍日記 続

因島市史料 第9集
因島市教育委員会、1967年、【ページ数】102p

因島市文化財保護委員会/編集

参考文献




いんのしまみち

2015年3月26日木曜日

因島田熊町 字名図

たくまみち
因島田熊文化財協会、「田熊の文化財」第二十五巻、平成19年、p.13による。

たくまみち

因島土生町 古地図

はぶみち





「因島史料1」による。
土生町市街図。田丸實太郎、「因島案内」、因島案内社、大正八年による。



「因島汽船社史」p.30
「因島汽船社史」p.16



はぶみち